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マレー半島

タマンネゲラ国立公園はマレー半島のど真ん中、クランタン、トレンガヌ、パハンの三州にまたがり、広さ4,343km2(東京都の二倍)で、マレー半島最高峰のタハン山(2,187m)を含み、密林には象、水牛、虎など約1,000種の野生動物や、サイチョウ、カワセミなど250種の鳥類、約300万種の昆虫が生息している。熱帯降雨林を形成する植物は約一万種があり、東南アジアに残された最後の秘境である。タマンネゲラは、マレー語でタマン(庭)ネゲラ(国)の意味で、文字通り国立公園である。もともとはパハン州の1,300km2の公園であったが、三州のスルタン(王様)が協力して、1938年「King Geoge National Park」として指定され、独立(1963年)後にタマンネゲラ国立公園と名を改めた。

十月三日、午前九時、首都クアラ・ルムプールよりチャーターバスでクアラ・テンベリンに向かう。マレーシアは日本の面積の0.87倍(33万434km2)で、人口は首都圏と同じ1,200万人、市街地を抜けると人家はまばらになり、パラゴムノキ(Hevea brasiliensis)、アブラヤシ(Elaeis guineensis)の大プランテーションが広がる。天然ゴム156万t(1981年)の生産は世界一である。郊外は高速道路もよく整備され、最高時速110kmだせる場所もある。出発してから約二時間、いよいよローカルロードとなり、あまり広くない片側一車線の道だが、時速90km制限の標識、分離帯もない道では危険この上もない。マレーシアは日本と異なり車優先の国で、もし歩行者と事故を起こした場合も悪いのは歩行者ということになる。日本の交通標語で「飛び出すな車は急に止まれない」というのがあるが、人を轢いたら「運転手が悪い」というのが大きく異なるところだ。道はますます細くなり、凸凹道をさらに二時間、両側のジャングルには猿やリスの姿も見られる。

川岸の植生

国立公園行きの船着場、クアラ・テンベリンに着いたとき、午後一時を少し回っていた。一軒しかないレストランで遅めの昼食をとる。灌水している相手の低木に、淡紅色の五弁小花が愛らしく、小枝をつんで皆に見せる。ボンテンカ(Urena sinuata)の仲間と思われた。ボンテンカは四国から九州に分布し、葉はヤツデ状だが、ここの種類は、葉が深裂せず長葉である。このタイプは西表島浦内川上流で目撃したことがあった。オオバボンテンカ(Urena lobata)はハイビスカスの近縁種で、アオイ科である。

出発は午後二時、これより川船で約三時間、テンベリン川を59km遡る。船は一応屋根つきの十人乗りで、船外機のヤマハも快調、川風が心地よい。汗で上着までグッショリ濡れた衣服を乾かすのに都合がよい。川中に突き出るように、熱帯の樹木が繁る中に、幹から葡萄状に果実を垂らしている植物が目につく。熟した果実はちょうど、巨峰位の大きさで紅く美しい。フサナリイチジク(Ficus glomerata)の和名がある。フサナリイチジクはヒマラヤ山麓からスリランカ、タイ、ミャンマー、マレー諸島に分布する常緑高木で約20mになる。仏典では、優曇華として有名で、ウドンゲの花は三千年に一回開花するといわれ、拘那含仏はこの木の下で成道したという。困難の代名詞として日本でも用いられ、講談でお馴染みの敵討ちの口上に「……敵を探し幾十年、苦難苦節の優曇華の花、神の御加護か仏の導、ここで会ったが百年目、いざ尋常に勝負……」に使われてきた。花が開くときは、金輪王が出現すると伝えられ、敵討ちの手助けをすると信じられてきた。

イチジクの仲間の花は果実の内部にあり、外から全く見えず三千年経っても開いて人目に触れることはない。ちなみに、どういうわけか昆虫のクサカゲロウの産む、白い糸状の柄をもつ卵塊がウドンゲと呼ばれていて、吉兆あるいは凶兆のしるしとされている。

川岸より覆いかぶさるように、水面を白い果実で飾る樹木がある。果実は小さく、径3cm程度で五から六個かたまって着果し、ネムノキの花状の白い花をつけているものもある。和名ミズフトモモ(Syzygium aqueum)で、別名ミズレンブとも呼ばれ、川岸の植生のかなりの密度を占めている。高さ10mの常緑樹で、果実は人間が食べるほか、猿の食料にもなり、イチジク同様動物の生態系を保つ上で重要な役割をもっている。フトモモ科の植物の特徴は、葉が対生、花は放射状にたくさんの雄しべをつけることで、他科との区別がつく。川は一時間程遡ると山間部に入り、水牛、カワセミ、猿などの動物もひんぱんに見られるようになる。カワセミは日本のものに比べ、瑠璃色が鮮やかである。樹上で実を採る猿、また川で泳ぐ猿の姿も近くで見ることができた。この辺りまでくると、陸路は悪く、四輪駆動車でなければ入ることはできない。川岸に生える竹類は二種あり、大型のパイトン(Dendrocalamus asper)は高さ15m以上、勢いよく筍を何本も中空に突き出している。竹材は建築用材、筏、農業資材などに利用され、筍は食用、自然では土手の保護などにもなる有用樹である。熱帯の竹の一つの特徴は、根が走らず、一株にまとまるのが多い。もう一種は日本のヤダケに似ているがよく枝分かれして、一本の竹でもどれが主桿かわからないほどで、他の樹木と混生している。混生絡みつきナンバーワンは、トウの仲間(Calamus caesius)で、蔓性のヤシである。茎の長さは陸上植物では最長といわれ、長いものは200m以上になるという。トウ属は、アメリカ大陸を除く世界に375種あり、茎から杖や籠、椅子などの家具が作られる。トウ類には鋭い刺があるので、家具などを製造するには切り出したトウを丸めて川や沼に浸け、刺をもった葉柄や葉が腐ってから引き上げ、生乾きの時加工される。それらは、乾燥するとそのまま固まり、しっかりした形になるのである。本種は「竹籐」といわれる種で、マレー半島を中心としてジャワ、タイに分布している。テンベリン川はテレンガン、ケニアムなどの支流を集め、水量も多く、雨季には5mも水かさが上がる。水は褐色に濁り、百年経っても河清はない。ナマズの仲間やコイ科の大魚ケラーが生息しており、10kg余りの魚体を求めてわざわざ遠くからフィッシングに訪れる人もいる。そうこうしているうち、目的地のクアラ・タハンが見えてきた。時計を見ると四時半、ここには国立公園管理事務所があり、最近では宿泊者のためにコテージ八十棟、ユースホステル一棟、キャンプ場などが完備された。われわれが宿泊したのは一日150マレーシアドルするスイートルームで、男同士のルームメイトでは少々贅沢だが、冷房は完備しているものの隙間だらけの室は、蚊やヤモリが多い。特に三歩先がジャングルの筆者のコテージは、加えて蟻の攻撃、毎夜、手持ちの蚊取り線香を三本焚く有様であった。

タマンネゲラ国立公園

この国立公園は、入山料が10マレーシアドル、カメラ一台が10マレーシアドルを徴収される。管理棟と各コテージはタハン川とテンベリン川の合流三角地帯にあり、陸上交通が効かない場所では、川は重要な交通網であり、合流点はさしずめ銀座四丁目の交差点というところで、対岸は小学校を中心として、二、三十軒の小集落もあり、登校時には小学生を四、五人乗せた船が、どこからともなく集まってくる。さすがに、ここまでくる日本人は少なく、それも総勢十八人は今までになかったことに違いない。前日の午前六時半に家を出て、ここまで一日と十時間の長い旅であった。管理事務所を中心としたリゾートは、庭園がよく手入れされ、ノシバの刈り込み掃除も毎朝行なわれている。樹木も豊富に植栽されているが、花や果実の季節からはずれているため、その派手さはない。ここはマンゴー(Mangifera indica)の原生地の一つで、他にウママンゴー(M. foetida)、ケマンガ(M. kemanga)、ランジュ(M. lagenifera)、ニオイマンゴー(M. odorata)など、野生種は十種以上あり、果実の少ない時期では、樹木を見てもこれらを同定することはむずかしい。川に向かう土手際には、大型のジンジャーが一部景観を塞いでいるため、基部より20-30cm残して刈り取られている。その中に後から生えたゾウコンニャク(Amorphophallus campanulatus)が高さ2m、巨大な羽状葉を展開している。英名はElephant foot yam。塊茎には、コンニャクを作るデンプンはないといわれているが、姿形は日本のものと同じで、コンニャクデンプンを含んでいるのではないかと思われる。現地では、若い葉柄を煮て食べる。仏炎苞は平開し、大きい朝顔形で、紫紅色で美しい。これより大きいオオコンニャク(A. giganteus)やスマトラオオコンニャク(A. titanum)もあるが、花は本種が一番美しいとされている。肉穂花序には、ビッシリ卵形の液果がついており、トウモロコシの実を剥がす要領で剥がしてみたが、五分後に触れた手のあちこちが、小さな針で突かれたような痛みを感じた。アルカロイドによることは明白で、あわてて石鹸をつけ何回も手を洗い、それでも十分位は痛みがとれなかった。サトイモ科の植物は概して人体に刺戟性の物質を含み、生のサトイモやヤツガシラは料理する時でも、汁がつくと痒くなるので要注意である。

川を遡上するときも、ピンクの花をつけている樹木がかなり目についた。ここの庭園内にも植えられているオオサルスベリ(Lagerstroemia calyculata)である。落葉高木で20m以上になり、一斉に咲くと見事である。日本にあるサルスベリはもともと東南アジア、オーストラリア原生種で江戸の中期にきたものである。オオサルスベリは沖縄県名護市の街路樹で見かける程度で、耐寒性がないということで、内地の植栽には適さない。各コテージを結ぶ道は、ドゥランタが縁取材として植栽され、各所に円筒形に刈り込まれた高さ1.2mの低木が配されている。最初は、ドゥランタかと思っていたが、ムラサキ科のフクマンギ(Carmona retusa)であった。フクマンギ(福万木)は奄美大島を北限として、インド-マレーシアに分布する常緑低木で高さ3m位になり、花は集散花序で一から三個つき、白色五裂、石果は径4mmで、黄赤色になる。琉球列島では子供たちが食べている。沖縄では庭園樹、盆栽などに利用されている。

ここでは、すべてといってよいほど、糸状の白黄色の蔓が絡みついている。クスノキ科のスナヅルにしては蔓が細すぎるので、おそらくネナシカズラ(ヒルガオ科)の一種かも知れない。ネナシカズラ(Cuscuta japonica)は、日本では冬期に枯れる一年草だが、熱帯では冬が無いため多年草となる。この仲間は日本には、マメダオシ、ハマネナシカズラなどがあり、太さといい、ハマネナシカズラに近い種ではないかと思われた。

マメ科植物の大木は、葉が弱風でもそよぎ、適度な光線が樹冠を抜け枝や幹、地上まで届く。したがって、樹下に生える植物も多く、幹や枝に着生するデンドロビウム、セロジネなどのラン、シノブやウラボシなどのシダ植物の数も多く、中でも見ごたえがあるのが、ハカマウラボシ属(Drynaria)である。この仲間は熱帯アジアに十数種あり、葉のつけ根にコウモリラン(ビカクシダ)にも見られるハカマをもち、樹上に群生する様子は圧巻である。

ここマレーシアでは、Drynaria rigidulaがあり、オオタニワタリなどと混生している。中国南部には少し小型のハカマウラボシ(D. fortunei)があり、漢方として根茎を強壮、骨の強化、痛み止めに用いられている。最近、日本人の中年以降の女性の間で、骨が溶けてスカスカの病気が流行っている。病名は舌を噛むような名で、骨粗鬆症とか。これを大いに利用すれば、大いに効果が上がるだろう。ハカマウラボシ属の特徴は着生であること、葉の付け根に葉に似たハカマがあること、最大長さ120cmになる葉は、カシワの葉に似て、深い切れ込みがあることで見分けられる。花の少ない時期ではあるが、今を盛りと咲き誇っているものは、ムラサキモクワンジュ(Bauhinia purpurea)である。別名ムラサキソシンカともいい、マメ科の常緑低木で高さ5mほどになる。原産地はインドから中国南部で、花色は白、赤、紫。花期は秋から冬となる。バウヒニア属は、日本にハカマカズラ一種がある。ところであまり目立たない花があった。花弁が六枚で、ちょうどグロリオーサの花を下向きにつけた格好である。花色は淡黄色。この植物は香水の材料として名高いバンレイシ科のイランイランノキ(Cananga odorata)で、ヨーロッパには1800年代の初め紹介され、以来貴婦人がつける香水の木として、広く世界に知られるようになった。原生地はマレー諸島で他に二、三種ある。花は初め緑色で、次第に淡黄色になり、萎凋し始めた頃に香りが一番強く、蒸留して成分を取り出す。余談だが、日本で初めて香水を作り、ヒットさせたのは資生堂で、原料はムラサキ科のヘリオトロープだった。

食堂入口際に、カタバミ科のゴレンシ(Averrhoa carambola)の古木があった。名(五斂子)のとおり五つの稜があるマレー諸島原生の熱帯果樹である。花は小枝や幹に直接つく幹生花で、通常年三回収穫される。品種も多く、蜜桃、白糸桃、青鼻桃、酸桃など用途に応じて甘味、酸度がそれぞれ異なる。生食、ゼリー、野菜などに用いられるほか、蓚酸を多く含んでいるものは、羊毛を清潔にしたり、銅などの金属の浸食加工などにも用いられ、別名羊桃とも呼ばれている。同じゴレンシ属のビリンビン(A. bilimbi)は、果実の大きさが5から10cmで、ウリ形、強い酸味があるため生食せず、通常ピクルス、ジャム、飲料、また魚肉の煮付け、カレーの材料として使われている。ゴレンシとビリンビンは似ているが、羽状葉の小葉が、ビリンビンは多く(25枚位)、長さが長い(5-7.5cm)ので、和名ナガバゴレンシとも呼ばれている。

タマンネゲラのコテージの入口には、ヘリコニア、アラマンダ、カンナ、ドゥランタなどが植栽され、縁取りにクフェア、白竜(ヤブランの園芸品種)が使われている。中心になるものとして、それより一段大きいクワズイモの仲間やミッキーマウスノキ(Ochna serrulata)などが用いられている。ここのインドクワズイモ(Alocasia macrorrhiza)は日本のものに比べ肉厚で、立性のものや緑の淡いものもあり、詳しく調査すれば新種も見つかるかも知れない。クワズイモの話が出たので、ついでにわたし達が通常「アマゾニカ」と称して使っているものはボルネオ原生のナガバクワズイモ(A. lowii)とフィリピンのコウライタコ(A. sanderiana)の交配種で、決してアマゾン原生種ではないので、園芸名にだまされないよう注意しなければならないが、翌々日のジャングル・トレッキングで原生林中、まったく同じ植物を何度も目撃した。内には紫色の葉でなく、表裏が緑色のものもあった。一見クワズイモに似ているが、葉身、葉柄が淡い緑で、白粉を帯びているので淡く見えるハスイモ(Colocasia gigantea)であった。ジャワ原生種で古い時代に日本にも入ってきたものである。芋は煮ても硬くて食用にならず、葉柄が食べられる。本種がいわゆる「肥後ずいき」の元祖本物である。その由来は、肥後藩主加藤清正(1562~1611年)が一朝有事の際の非常食として、乾燥した葉柄(ずいき)を畳に織り込んだり、衣服の保温材代わりに縫い込んだりしたことにあるが、同じ効果があるということでヤツガシラ(サトイモの栽培品種)なども代用されるようになった。

ジャングル・トレッキング

十月四日、午前九時。ブキッ・テレセク(Bukit Teresek)まで、1.7kmのトレッキングをし、足慣らしとしては手頃なコースである。案内は管理事務所に所属する二人のマレーシア人である。宿泊地を一歩出ると、そこは一億三千万年前から手つかずの密林である。コースの小径以外はまったくの藪で刺のある植物が繁茂して入ることはできない。船で川を遡る時にも見かけたのだが、緑の丸葉でクテナンテと思われる植物があった。高さ3mにもなりジャングルの縁に多く植生している。カラテア属、マランタ属などのクズウコン科は、植物図書によっては、熱帯アメリカが原生地と記載されているが、マレー半島のジャングルの中では、これらの属と思われるものに何度も出喰わしている。クズウコン科はアメリカだけの特産植物でないので、この点気をつけなければならない。

トレベシア(Trevesia bruckii)がヤツデ状の果実を垂らしている。ヤツデは頂生で植物の頂上に立つように成るが、トレベシアは下垂し、下部の幹から出る。これは最初頂生であったものが、熱帯では生長が早く、花穂が下になるのかもしれない。

林縁を彩るイワヒバ科のコンテリクラマシダ(Selaginella willdenowii)は日本のコンテリクラマゴケと葉は変わりないが、蔓性で1m以上も伸び、ブルーに輝く色彩は鮮やかである。ジャングルを構成する高木30m以上のものは、フタバガキ科、クワ科、マメ科であるが、特筆すべきは、ジンチョウゲ科の常緑高木ジンコウ(Aquilaria agallocha)の大木があったことで、これはインド東部から東南アジアに分布しており、古来より香科植物としてマレーが主産地となっている。沈香は倒木が土中に埋まり、樹脂が浸出して固まったもので、年代や品質によって沈香、伽羅などと呼ばれ、良質なものは水に沈むので、沈香の名がつけられたものである。沈香はベンジルアセトン、アルコール、テルペンなどを含み、燃やすと特有の芳香を発し、仏教や他の宗教の儀式にも使われてきた。今では日本の香道の主役ともいわれ、正倉院御物の中の蘭奢待は名木として著名である。織田信長が権力に物をいわせ、これを切り取り、香に用いた話は有名である。薬用としては喘息、冷えなどに効果があり、鎮痛、疲労回復にもよいとされている。

現地ガイドは剥離した樹皮片を拾ってライターで火をつけ、その芳香を皆に聞かせていた。ブナ科の植物も多く、リスやサルの鳴き声は止まることを知らず、遠く近く「両岸の猿声鳴いて止まらず」の感である。ここのブナ科は日本の団栗のように、秋に一度に多くは成らず、周年花が咲き、結実する。

薄暗い林床には、鮮やかなジンジャーの花。真紅で松笠状、地中より花穂を出す種類である。われわれが通常切花で見るものは、茎の先に花をつけたものが多く、AlpiniaHedychiumなどである。大型のジンジャーも多く、草丈が5-6mになるものもある。またサトイモ科も豊富で、スキンダプスス、ホマロメナ、エピプレムヌムほか、スマトラに分布するペンタステモナ(Pentastemona)と思われるものなど、メタリックの葉をもつもの、葉柄の赤いもの、モンステラ状に切れ込みがあるもの、ハネカズラのようなもの、地下茎に芋ができるものや地上部が蔓になるものなど実にここは宝庫といっても過言ではない。

同日の午後、タハン川を遡ること約8km、ラタベルコに向かう。ここは多少段差のある滝があり、淵は水泳ができる唯一の場所である。途中の川岸は、大木が生い茂り、川面に射し込む陽の光を遮っている。倒木上に何か動く物があって、目をこらすとワニかと間違えそうな体長2.5m以上あるオオトカゲだった。黒地に黄斑の紋様は不気味だ。エンジン音に驚いて密林に姿を消したが、目的地のラタベルコには、少し小ぶりのイグアナが三、四匹さまよいて、人間を見て恐れる様子もない。20cm以上もある大ヤスデもいる。日本のものは2、3cmである。ヤスデも腐食した物を常食にしているジャングルの掃除屋である。ボルネオでも出会ったことがあり、色は黒色だったが、ここのは飴色である。木にたかるヤモリも飴色で、動物は住む環境に応じて、色が変化するらしい。

蟻は種類、量とも多く、樹上に蟻塚を作るものやら、朽木に巣食うものなど、ジャングルの生態系を保つ上で重要な働きをしている。蟻塚には1m3当たり3,500匹の蟻がおり、倒木や動物の死体を土に戻す役割をしている。ここでの川幅は約30m、褐色に濁る水量はまだまだ豊かで、滝壺には別動で来た外国人三人と有沢、水野、押田の三人が水浴をしている。流れは早く、底が深いため、水浴というより、水に翻弄されているようにも見える。が本人達は結構楽しそうに歓声を上げている。この辺りにはヒルが多く、帰る日の十月六日までの三日間で計四回、血を吸われた。ヒルは通常、地面に多くいるが、樹上にもいる。動物の体温と炭酸ガスを感じると、体長2cmほどの体が熱源体に向かって15cmにも伸び、糸状になった体は靴下の網目やスパッツの合わせ目に入り込むのは簡単で、充分に血をいただくとポロッと落ちる。被害を受けた者は痛くも痒くもないものだから、吸われた跡からの出血に気づき、びっくりということになる。

パテック族に遭遇

十月五日。本流テンベリン川上流28km、クアラ・ペルカイ(Kuala perkai)に向かう途中、クアラ・トレンガンに上陸する。ここには、ジャングルを樹冠から見下ろし、観察できるよう吊り橋が三本、谷を囲むよう掛けられている。橋の全長は約200m。人員制限があり、一ブロック二、三人、それも間隔を置いて渡る。高い場所では約30m、上から眺めることは、植生を知る上で大切なことで、最近ジャングルの樹冠(高さ60-70m)の上に、大きな風船(クッションとして)を何個も置き、橋を渡し、花や葉を観察することが行なわれている。地上から大木の花を見ることは不可能であり、この方法で調査すればまた、かなりの新種や変種が発見されると期待されている。

吊り橋は、クワ科のベンジャミンゴムノキ、フタバガキ科のDipterocarpsShorea、カンラン科植物(Canarium)、マメ科のケンパス(Koompassia malaccensis)やメンガリス(K. excelsa)などの大木を橋脚として利用し掛けられたもので、樹冠はまだまだ30m以上も上で見えないが、密林の中層木、低木の植生配置が一望にできた。

クアラ・ペルカイにて昼食。ここは四棟ほどのコテージや管理事務所もあり、冷えた缶ビールは10マレーシアドルと一寸高いが、一服するには好都合の場所である。昼食もそこそこに周囲を探索する。ツユクサ科のディコリサンドラ(Dichorisandra)やギバシス(Gibasis)によく似た植物を発見した。花は着いていないが、草丈約1.5cm、葉は被針形で、ざらつくほどの茶色の毛をもっている。この属はアメリカが原生地とされているので、ひょっとすると新属かもしれない。またゾウコンニャク、タシロイモ科のブラック・リリー(Tacca integrifolia)が珍奇な花を咲かせている。帰路、ガイドの説明で、現地のパテック族数戸の集落があるということで急遽行くことになった。川岸より数km奥にあるという。薄暗い小径に大きな豆果が腐って裂けている。これまで見たこともない巨大な(径10cm)豆が見えた。世界最大の豆として有名なモダマである。モダマ(Entada phaseoloides)は旧世界の熱帯から亜熱帯に分布する蔓性のマメで、日本では西表島、北限として奄美大島まで分布している。奄美のものは何度か手に入れたことがあり、爽が約1m、種子は径5-6cm。マダガスカルのものは写真で見たことがあり、英が約1.2m、種子は径6cm位であった。ここのものは豆果が長さ50cmほど、幅15cmで、種子が非常に大きく、四個入っていた。もしかしたら別種かもしれない。そのうち三個を拾ってきたが、一ヶ月後一個が発芽した。湿潤なジャングルの小径はぬかり、養分に乏しいラテライト土壌で、有機質はほとんどなく、鉄分、アルミニウムを多く含み、学術的にはフェラルソル(Ferralsol)と言われている。アップダウンの山道で足元の定かでない状況では、1km行くのに一時間もかかってしまう。突然ガイドが道からそれて、藪の中に入っていった。藪をかきわけて入っていくと、原住民とおぼしき六、七人の半裸人間が、やっと背丈が立つ位の片流れ(小屋を半分に切ったような)の小屋―雨除けにヤシの葉を葺いただけの簡単なもの―の中で、焚き火を囲んで屯している。目的の集落ではなく、ジャングルで獲物を捕り、点々と移動して暮らしているパテック族であった。話を聞くと兄、弟の二家族で放浪生活をしているとのことで、成人の男女が二人ずつ、子供が親の陰で隠れてわからなかったが五人、計九人ほどいた。獲物は吹き矢で捕るとのことで、二段に伸びる3mもある吹き矢で猿や鳥などを狙うという。無論毒矢である。矢はおそらくコブダネヤシ(Oncosperma)の刺を使い、毒はマレードクヤシ(Orania macrocladus)の実を用いるのであろう。マレードクヤシはその小さな実(径20-28mm)に猛毒があり、一果で象も殺すといわれ、生長点にも毒を含み、ナガエクワズヤシの和名がある。獲物が何匹か溜まると、里に降りて物々交換するらしく、ビニール袋に入った米が目に止まった。弟の嫁はさすがに若く、あっぱっぱを着て、ヤシの葉で屋根材を編んで、新しい小屋を作っている最中で、傍らにラジオ・カセットがあったのには驚いた。二坪ばかりの小屋の周辺は落ち葉の上に、布が無造作に置いてあると思ったのは間違いで、たぶん汚れ物をスコールに当てて、自然洗濯をしているのであろう。十分ほど写真を一緒に撮ったり、吹き矢の手解きを受け、あまり大勢で長時間お邪魔するのも獲物が逃げたりして迷惑であろうから、手持ちの弁当、菓子などを置いて退散することとなった。虎や彪、象なども、この辺に出没するという危険な夜はどうするのだろうか。「文明人」が持ち込んだ料理は口に合うだろうか。子供達は木の実や草の茎などをしゃぶっていたので心配である。定住するパテック族は、機を織る技術と染色に優れ、織物はパテック織りとして海外まで有名である。ジャングルの放浪の民に出会うのは誠に幸運で、その姿は物質文明にない幸せを改めてわれわれに考えさせる一幕であった。


  • 初出掲載紙:(社)日本インドア・グリーン協会発行『グリーン・ニュース』
  • マレー半島植生誌No.1(グリーン・ニュース、一九九三年十一月号)
  • マレー半島植生誌No.2(グリーン・ニュース、一九九四年一月号)

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はじめに

マレー半島
ペナン島
スリランカ
マダガスカル
オーストラリア―クイーンズランド
オーストラリア―ウェスタン・オーストラリア
ニュージーランド
タヒチ
琉球列島―奄美大島

著者あとがき

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